今年7月に大崎市の図書館が新しく建設され、古い図書館の蔵書がリサイクルされました。私は当日のんびり午後から参加したため、ほとんどほんは残っていませんでした。ところが、私の来ることを待っていたかのように1冊だけ書棚に残されていた本がありました。私は内容も確かめずに、記念にいただくことにしたのです。完読はしていないのですが、「この世で起こることに偶然はない。すべて必然である。起こることには、すべて意味があり、無意味になることはない。人生に無駄はない」という文に共感しました。(S)
中途失明の中学校教師が盲導犬のサポートで公立中学校教師として復帰するまでを自筆したノンフィクションです。
この本はボランティアで読んだときに著者の生きる姿勢、傷害に対する考え方に感動しました。盲導犬の愛らしい写真も楽しめます。(S)
本書は、2015年に開催された第1回全通研アカデミーの講義集としてまとめられたもので、ふたつの講義が収録されています。
そのひとつ、大矢暹氏の「聴きとりから学ぶ高齢ろう者の人生」では、大矢氏が特別養護老人ホーム淡路ふくろうの郷の施設長に就任してから取り組んできた、入所者の人生の聴きとり(語ってもらう)から学ぶ姿勢について述べられています。
全通研は「聴覚障害者の暮らしから学ぶ」を基本に活動していますが、大矢氏は講義の冒頭で「暮らし」とは何か、「暮らし」の何を知りたいのかと問いかけます。ここでまず、安易に「暮らしから学ぶ」と唱えていたことにいきなりダメだしをされ、考えを改めなければならないと気付かされます。そして、次々と紹介される高齢者の体験談では、まさに想像もしなかった世界が語られます。特にトップバッターとして登場する、大阪市出身の黒崎さんのお話は衝撃的です。
黒崎さんは『わが指のオーケストラ』で知られる大阪市立ろう学校の予科(幼稚部)に11歳で入学します。しかし、2年後小学部に進学して間もなく窃盗を咎められ、ろう学校に通えなくなってしまいます。そして、ひもじさや惨めさに耐えかねて窃盗を重ねていきます。13歳で母親を亡くし、空襲で周りの人が避難している最中に食べ物をあさり、終戦後は窃盗団の世話役となっていきます。窃盗の罪で5回も刑務所に入れられたと聞くと、「なんて悪い人なんだろう」とか「なぜ更生できないんだろう」などと思ってしまいますが、ここでまた大矢氏が警鐘を鳴らします。現在の日本における価値観と法制度で「窃盗」という行為を見ればそれはたしかに罪ですが、行為は突然発生するわけではなく、必ずその行為に至る理由や背景があります。黒崎さんが窃盗を繰り返した理由、繰り返さざるを得なかった理由と背景が、本書の中で明かされます。それを読んだときに、頭に浮かんだのは「因果」という言葉。俗にいう「因果応報」の概念ではなく、仏教でいうところの「縁」です。全ての事象は周辺の事象と関わってその状態になっている/なっていくと解釈する考え方です。ひとつの行為は、その行為を行う人間の環境と体験、そして時代や社会の状況が因となった果であり、その行為自体が次の果の因となるのです。大矢氏は「過去・現在・未来はバラバラなわけではありません。・・・高齢ろう者の暮らしに学ぶということは、過去、そして今、未来に続くろう者の暮らしを総合的に学ぶことです」と述べています。「因果=縁」を見つめることの大切さ、己の価値観を見つめ直すきっかけを与えられた1冊です。両親をはじめたくさんの人たちの顔を思い浮かべながら読みました。(M)